追悼文・マゲを失ったこと

私の学校の友人が、交通事故で死にました。21歳でした。私は生前の彼のことを勝手にマゲと呼んでいたので、ここでもそう呼ぶことにします。

2月の間ずっと続いていた寒さがずいぶんと和らいで、3月3日は穏やかに晴れて暖かい初春の日和でした。そんな日のお昼過ぎのことです。私は久しぶりに部屋の窓を開けて、窓際に寝転んで本を読んでいました。

すると携帯電話が鳴って、マゲが事故で死んだという報せを友人から聞かされました。その瞬間は全く信じられませんでしたが、詳しい状況も何も聞かないままとにかく喪服の用意をして、夕方からお通夜に出かけました。

お通夜の会場は、私の家から電車で30分ほど行ったところにあるセレモニーホールでした。その駅でクラスの友人たちと待ち合わせてから会場に行くと、ホール入り口にある電光掲示板にマゲの名前が書かれていました。マゲが死んだということを、私はこの時初めて知らされたような気がしました。

3月1日の朝、マゲは車に乗って旅行に出かけるところでした。彼はこの春休み中に運転免許を取りに通っているはずでしたが、その時運転していたのはマゲではなかったようです。おそらく彼は後部座席にいたのでしょう。渋滞最後尾で止まっているところに居眠りか脇見のトラックに追突され、押しつぶされての即死でした。

マゲの遺体は損傷が激しく、事故の後身元が判明するまで少し時間がかかったようです。そのため葬儀も遅くなったのだと誰かが言っていました。

お通夜の席で、マゲは箱に入れられて神棚の前に置かれていました。神道式で玉串を奉納するとき私はその箱と正対しましたが、ふたは閉じてあり、上から布がかけられて中を見ることはできませんでした。箱の中に本当にマゲの遺体が入っているのか、私は全く信じられませんでした。お通夜の後にあった会食でも、クラスの友人たちはみな一様に同じことを言っていました。

お通夜から帰って新聞を調べると、2日の社会面には確かにその事故についての記事があり、マゲの名前もまたはっきりと記されていました。確かにマゲは死んだのでした。ただ、我々がその事実を実感できないというだけのことでした。

翌4日も穏やかな日になりました。黒ずくめのコートが大げさに思えるような暖かい朝で、街には沈丁花の香りが漂っていました。マゲの告別式は午前中に行われ、その席で私はまた棺に対面しました。

会場は昨夜と同じビルの狭いフロアで、並んだ椅子に喪服姿の遺族と参列者たちが腰掛けていました。二人の神主が淡々と儀式を進め、マゲの短かった人生をしめくくる行事がつつがなく行われていきました。最後にマゲのお父さんが玉串を奉納し、遺族が奉納した後、参列者が奉納する番になりました。

桐のような木でできた白い箱の上に布がかけられ、花束が置かれていました。明るい照明と花々に包まれて、マゲの遺影は神棚の中央で静かに笑っていました。黒い喪服姿の遺族達はその前に並んで座り、うつむいて泣いていました。生と死のコントラスト。その様子を見ながら、私はそんなことを考えていました。

告別式の最後に、マゲのお父さんが参列者に挨拶を述べました。時々言葉を詰まらせながらも事故の状況を簡単に説明し、早く逝ったマゲの分までしっかりと生きていきたいと話してくれました。死んでしまったマゲと、生きている私達。生と死のコントラストというものを、この時マゲのお父さんも強く感じていたのかもしれません。

告別式が終わると出棺の時間になりました。参列者は先にビルの前に出て待ち、遺族が箱の中の遺体に最後のお別れをしてから外に出てきました。友人の方何名さまかで棺をお運びくださいと職員が声をかけたので、私も建物の中に入ってマゲの棺を霊柩車まで運ぶ役を買って出ました。

クラスの友人など8人でマゲの棺を持ち上げるとき、腕に感じたその重さから私は初めてその中に人間ひとりが横たわっていることを実感しました。花束は告別式のときよりも多くなっていました。外は高曇りの空で暖かく、駅前に咲いていた梅の白い花をなぜか思い出しました。ビルの玄関から数メートル先まで遺体を運び、霊柩車に収めるときに一瞬だけ、私は棺に軽く手をのせました。学校では何気ない気持ちで毎日繰り返していたさよならも、本当にこれで最後になるのでした。

マゲの棺が完全に収められるとそっと扉が閉められ、クラクションを一回長く鳴らしてから霊柩車が走り出しました。マゲの遺影を抱いた遺族がマイクロバスでついて行きました。私達参列者はその様子を見守り、これでマゲの葬儀は全て終了ということになりました。参列者たちは一斉に駅のほうに向かって歩き出し、私達はしばらくその場に残っていました。淋しいような、でもなぜかほっとしたような、そんな気持ちになっていました。

その日の午後は、本当に久しぶりに雨が降っていました。マゲの死を悲しむような静かな雨でした。私は車を運転してある湖の周りを走っていました。雨は霧のように音も立てずに降り注ぎ、対岸の景色はぼんやりと白く霞んで見えていました。

車内の暖房をつける必要がないくらい暖かいことから、私は春の訪れをそこにも見つけていました。空気を入れかえようと思って車の窓を開けました。すると、雨降りの湿っぽい風と一緒に、濡れた土や草の匂いが胸に飛び込んできました。

その瞬間、確かに私は生きているのでした。生と死のコントラスト。21歳という若い年齢にして、事故の瞬間から永久に動かなくなったマゲ。先ほど腕に感じた棺の重さは、マゲの死の確かな証明でした。そして今、湖のほとりでマゲの死について考え、季節の移ろいを感じている私。その存在そのものが、私自身が生きていることの強烈な証明になっているのでした。

マゲの突然の死を機に、私は生きていることの意味について考えました。それは果てしなく深遠な問題であり、答えの見つかるべくもないものかも知れません。

でも私自身は確かに生きている。こんな当たり前のような事実を、マゲの死を機に私は生まれて初めて強烈に実感したのでした。

告別式が終わっても、まぶたに浮かぶマゲの遺影。その笑顔の奥から、私が生きていることをマゲが教えてくれているような気がします。

ありがとう、マゲ。そしてさようなら。

いつかまた会えるよね。